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萬書付帖 since 12.09.2007
February / 24 Mon 01:01 ×
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November / 20 Tue 00:05 ×

 読書ではないです。ただ、こんな本が出たってことをここに来ている僅かな人々へご報告したかっただけです。

 ついに出ました。アラスター・グレイの送る長編小説です。
 噂を聞いたことがある諸兄! その厚さに目をみはるがよい!

 もし、あなたが『紙葉の家』 マーク・Z. ダニエレブスキーを即座に購入した経験をお持ちなら
 もし、あなたの本棚に『重力の虹』なる小説が置かれているなら
 もし、あなたが『百年の孤独』の装丁が変わってしまってもう一度買おうかどうか悩んだなら

 そんな人は買わずにはいられないのではないでしょうか?

 『本』を味わう人のための本です。
 もちろん、中も読みますが。

 ぱらぱらめくりすぎないように気をつけましょう。
 持ち運びは不可能です。重いです。あきらめてお家で読みましょう。
 枕にもなります。
 3,675円で買えます。
 安い!!

 数ヶ月後、感想文が載る予定です。

 おそらく一番早い書評がお目見えするのも早くて一ヶ月後でしょう。

 書評に載るのかって?
 そんなの絶対載るに決まってるじゃないですか!!

 がんばれ、各紙、書評戦士たち!

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November / 11 Sun 23:34 ×

 本を二冊と雑誌を一冊を買った。財布の中にはそれを買う金がないのでカードで買う。『荒地の恋』の荒地はあの荒地なんだよ、と。そう聞いて買ったのがねじめ正一の本だ。家に帰ったもののぱらぱらとページをめくってみて、確かに荒地はあの荒地であると確認するに留めたままベッドの脇の本の山に積んだ。
 ベッドの脇には先日実家より持ち帰った本や最近買った本が十冊ほど置きっぱなしになっている。眠る前に適当に手に取り、睡眠前に少しずつ読み進んでいるのだが、読むよりも溜まる方が早いのが現状だった。
 山がひどくなると書店の外皮を外し、書架に収めるのだが、書架はもうその許容量を超えようとしており、書架の前に山がふたつほど出来ている。
 買った翌日は休みであり、本と新聞とを脇に抱えて家を出た。
 休日は喫茶店をうろつきながら新聞に目を通し、本を読みふけていく。そんな一日を今日もはじめるのかと思うとうんざりする。バス停で強風に煽られる新聞を押さえつけながら目を通しているとベンチにぐったりとした調子で座り込んだ同年代の男と新聞がぶつかり、ぶつかっているのが分かっても少しだけ避けるだけでそれ以上避けずに新聞を読んだ。新聞は強風で煽られ、たびたび頭を垂れている男に触れたように思う。
 バスでN駅に着き、さてどうするかと駅前から商店街へと向かう。銀行で金を下ろそうと考えながら歩いていたのだが、脚はゲームセンターへと向いていた。預けて置いたメダルを出してぼんやりとゲームに興じる。ビデオゲームは不得意なのでもっぱら競馬ゲームとメダルを押し出すタイプのゲームで遊ぶのだが、生憎競馬ゲームは満席だった。何も考えずにメダルをスリットめがけて落とすというゲームに興じる。二度大当たりしてメダルがまた増えてしまった。再びメダルを預けて店を出る。勝ってもあまりうれしくないのはまたここに来なければならないと思うからだった。この歳になってゲームセンターで遊ぶというのはどういうものかと思うし、時間を潰すという以外にその意味も見あたらない。それなのにメダルがたくさん預けてあると記憶しているとそれならば遊ばなければ損ではないかとも思ってしまう。
 本と新聞を小脇に抱えて店を出て、電車に乗った。
 電車の中で本を読み始める。
 『荒地の恋』は北村太郎を中心に、田村隆一、鮎川信夫、中桐雅夫など荒地派の老年を描いた小説だった。島尾敏雄を彷彿とさせる前半に飲み込まれ、吉祥寺駅で降りてもしばらく歩きながら読む。
 何軒かの本屋を渡り歩き、外口書店のワゴンで富士見ロマン文庫を三冊ほど買う。喫茶店に入り込み、さて、と、続きを読み進める。
 北村太郎と田村隆一の友情が、痴情が絡んで尚も続いていくという強いものであったことに強い感銘を覚える。間にいる鮎川信夫がスナフキンさながらのノマドとも言うべき位置を占めている。人間の関係性の濃厚であること、荒地と言う雑誌が休刊後も詩壇の中心であり得た理由が、否、荒地に集った詩人がその後も結びつきを保っていたことが詩壇を成長させていたのだなと感じる。
 老齢の詩人の不倫というスキャンダルは確かに興味をひく内容ではある。だが、それよりも読み終わって感じるのは詩の低迷する現代を、荒地派のいなくなる姿を通じてかすかに臭わせることのように思える。北村太郎を主人公に死への道書くなんて、なんだか似合いすぎている。
 読み終えて、本を書架に収める。そして、北村太郎の詩集でも読もうかな、と、詩のコーナーに手を伸ばす。書架に本があると言うことは、こういうことなのだろう。
 また、『小説尾形亀之助』正津勉/河出書房新社もやはりこの十一月に刊行されている。ベッドの横に積まれた本を読む為に休日を喫茶店で過ごすことをやはり毎週のように続けることになるのだろう。

October / 26 Fri 22:49 ×

 ジョルジュ・ルフェーブル(1874~1959)はフランスの歴史家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB
 フランス革命期の農民反乱に於ける群衆についての論文。農民が日常生活の中の関わり合いの中で形成させる「集合心性」を中心に群衆が革命を遂行することが可能だったかを論じる。
 革命を行った群衆は個々が自発的に革命遂行という意識を持っていたと言うのが、古い歴史学の考え方だったらしい。それを批判する形でルボンが、群衆はほとんど動物がそうであるようにひとりのリーダーによって煽動され、革命を行う群衆となった、という説を唱えた。
 だが、ルフェーブルはその中間をとった。日常的に関わり合いを持っていた農民、つまりそれはミサであり、村祭りであり、農作業そのものであったのだが、それらの農民同士の関わり合いの中から生まれる集合心性と呼ばれる集団としての心理的紐帯がこれら革命行動を行う農民には働いていたというのだ。
 古典的な考え方は、政治過程が前面に出ており、農民個々人がまさに歴史の主役として自覚的であったというような画一的な考え方であった。ルボンは人々の集団を動物の集団と同一視しており、人間の意識や社会的な部分を排除しているように思える。
 ルフェーブルは「集合体」(純粋な群衆。目的意識のない単なる人の集まり)「半意識的集合体」(集合体と結集体の間の様々な状態)「革命的結集体」(目的意識を持った人の集まり)という三段階に群衆を分け、そのそれぞれに集合心性が深く関与していると考える。
 革命的結集体は、アリストクラート層という支配階層が謀略を張り巡らせているというデマに対する反応として存在した。典型的な敵を認識することで結集体は強固になる。
 俗に言えば共通の敵に対することでまとまると言ったところであろう。強固な群衆は、集合心性の持つ価値観の平均化によって流布され、革命は全国的な価値観となる。価値観が出来ることによって、革命は成功に結びつく、と。
 すごく簡単に言えばこういうことなのだ。

 と、まあ、そんな感じなのだが、結集体は中に敵のスパイが入り込むことを激しく嫌う。すると粛正が起こったりする。ロベスピエールやらスターリンやら、枚挙にいとまがないわけだ。

 このルフェーブルの集合心性ってのは、ある社会という枠を考える場合、なかなか興味深い。仲間の中、学校の中、会社の中、インターネットの中、それぞれに集合心性は働いているのだろう。イジメ問題やサービス残業、汚職、2chの祭りと呼ばれる盛り上がりなどは、規範の薄れがいつの間にかその社会内で共通の意識となり、その社会では「許される」ものとなったから起こるのだ。その社会が、他の一般的な社会の常識でなくても別に関係はない。関係し合う仲間同士が許すのならばそれは許されるべきものである。ただ、国家、国際社会などというより上位の社会がある現代に於いては許されざるものなのは当然のことではあるが。
 現在の複雑な社会状況を考えるに、帝国だろうがマルチチュードだろうが結局は社会が存在し、その社会の中では集合心性が働き、それぞれ色々な形にローカライズされていく。まさに多様性なわけです。グローバルだ何だかんだって言う議論に対抗しうる力があるかも知れないよ、集合心理には。って思いましたねー。

October / 18 Thu 22:17 ×

 ザハリア・スタンクはルーマニアの作家。1902年、ルーマニア南部サルチアに生まれる。ジャーナリスト、詩人、作家。ルーマニア作家協会会長も務める。1974年没。邦訳では他に『はだしのダリエ』がある。

 第二次世界大戦に起きたロマ(ロム)人のジェノサイドを題材とした作品。ナチスの支配下、ユダヤ民族同様迫害・殺戮されてきたロマの人々を架空のシャトラ(馬車で放浪するロマ人の単位)を中心に描く。作中では30台もの馬車を従えるヒム族長のシャトラが、荒野に遺棄される。
 ロマにはついこの間まで発言力を持つ団体がなく、ユダヤ民族のように後押ししてくれる国家もないためにこの事実はあまり世の中には知られていない。私もこの本を読むまでは、ナチスドイツのホロコーストはもっぱらユダヤ民族と政治犯に行われていたと思っていた。

 ところでロマとは、言うまでもなく、日本ではジプシーと呼ばれる民族。インドに起源を持つと言われ、中世よりヨーロッパに現れる漂白の民です。数年前の新聞でどうやらロマと呼ぶべきであるというようなことが書かれていたと思うので、ここではロマとして通した。
 
 あまり話の内容が分かってしまうようなことを書きたくない。これから読みたいと思う人の邪魔になってはもうしわけがない。なので雰囲気だけ。話としてはただただ陰惨です。暗くなります。ルスティクの『少女カテジナのための祈り』をすでに読んでいる人は、ユダヤ人がロマ人に変わったと思えば間違いありません。
 しかし、『少女カテジナのための祈り』とは違い、ちょっと文明批判めいたところも内包しております。漂白するロマ人の生活の様子なんかも分かるのです。あとがきを読むと今や馬車でヨーロッパ各地を流れ流れてゆくロマ人は消滅しているのでは……と。非常に残念です。

 訳者の住谷春也は他にミルチャ・エリアーデの訳書多数。『エリアーデ幻想小説全集』の編者もやっている。

September / 20 Thu 23:15 ×

 気がついたら神保町駅にいたんだ。
 お腹空いたな、と、思って鞄に本を詰め込んで部屋を出ると何故か電車に乗っていた。最初は郊外の方へ向かおうと思っていたんだけれど、別にどこへ行くというわけでもなかったんだ。この路線の終点にはいくつかの古本屋があるし、それなりに美味しい定食屋があるってことは分かっていたんだけれども、それでもさほど求心力のある目標ではなかったんだよね。
 だからといって神保町に何故いたかという理由は見あたらなかった。それでも、ワンダーからはじまり、書肆アクセスまでのたわんだ回遊路に満足しなかったわけではなかった。
 おそらく女子高生のように心躍らせながら金文字の墓標を探る人々の一群となり果てていたわたくしは、夕方近くにようやく昼飯を食うに至った。
 今日の一冊は『トーキングヘッズ叢書第12巻ヴォルマン、お前はなに者だ!』であります。ほとんど手に入れる術のない訳書ばかりのヴォルマンを取り上げたこの一冊にはいくつかの邦訳(抄訳だけど)が掲載されている。ほとんど知名度が無く、おそらくこれからも邦訳がないだろうヴォルマンなので、この抄訳は貴重になっていくのでは無かろうか。ヴォルマンのインタビューの邦訳、山形浩生インタビューがメインか?
 お、古館のテレビで大庭みな子の特集やってるわ!
 とりあえず現在、ヴォルマンで手に入るものを書きだしておこう。

『ザ・ライフルズ』 国書刊行会
『ポジティヴ 01』 風の薔薇
『TH12 ヴォルマン、お前はなに者だ!』アトリエサード

 手に入らないのは、

『蝶の物語たち』白水社
『ハッピーガールズ・バッドガールズ』講談社
『ラブストーリー・アメリカン』新潮文庫

 らしいよ。
 実はあんまり知らないんだ。

 他にも面白そうなブックガイドがあったので独自にリストを制作しちゃいました!
 風間賢二のばかりなのですが、なんとも面白そう。っていうか、今買わないともう買えなさそうな本ばかりです。勉強して、もっといっぱいいっぱい本読まなくちゃ!

『オルタナティヴ・フィクション』カウンター・カルチャー以降の英米小説 水声社 風間賢二 2,625円
『快楽読書倶楽部』 創拓社出版 風間賢二 1,325円
『きみがアリスで、ぼくがピーター・パンだったころ 』おとなが読むファンタジー・ガイド ナナコーポレートコミュニケーション 風間賢二 1,680円
『ジャンク・フィクション・ワールド 』 新書館 風間賢二 2,310円
『ホラー小説大全 』ドラキュラからキングまで 角川書店 角川グループパブリッシング 風間賢二 1,680円
『人の読まない本を読む 』赤耀館読書漫録 本の友社 山下武 1,890円

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