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萬書付帖 since 12.09.2007
February / 23 Sun 06:26 ×
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August / 13 Wed 23:59 ×
 引っ越しました。
 以前は新宿高層ビル群の近くで生活しておりましたが、今やはるか遠く埼玉県との境に程近い板橋の方へ引っ越してみました。郊外への転居を考えました理由は一部屋増えることにより、生活に余裕が出るのではないかと思ったからです。一部屋増え、家賃も増え、生活は厳しくなるばかりかと思いましたが、やはり都心よりもずっと物価が安いわけでして、意外に暮らせそうな雰囲気なわけです。
 S木くんの助力を得てようやく引越しを済ませたとはいえ、未だ家具は揃わず、箱は中途半端に空いている状況にあります。すべてが揃うのは9月末になるのではないかと思います。
 本日、ウッドカーペットなるものを発注いたしました。それを敷くことによって畳を簡易的にフローリングに変えることができるというすばらしい品物です。これが到着いたしましたら、いよいよ居間の造型に取り掛かるわけである。ソファやテーブルという投資が必要になるのだが、それは必要な経費であるから仕方がない。より快適な生活空間を作ることが今期の最大の目標なのである。

 白い壁ばかりが目立つ室内に貼るためのポスターを探し中である。名作どころを集めようかと思うのだがなかなか店頭にないものである。

 引越し後、数度の近辺散策をしたのだが、結論として鄙には鄙らしさ以外を求めてはならないということのようだ。住宅地、畑、足を伸ばして荒川河川敷、どうもよろしくない。以前はちょっと暇なときには新宿にでも行って食事、喫茶店とどうとでもできたわけなのだが……今や……図書館、テラス、書店、喫茶店というある意味同じ・・・。
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June / 05 Thu 04:04 ×
 もんじゃ焼きを食いに行く。埼玉県に初の本格上陸を果たし、K氏との会合。
 
 埼玉県の郊外に位置する某所に夜7:30に降り立つ。

 某駅は、駅前にこそ飲み屋や店が若干あるが、少し離れると雑草の生える道が続く。郊外特有のこういった光景に最近触れていない私としてはその空気がはらむ若草の香りに若干の郷愁を覚える。

 そんな道端にもんじゃ焼き屋はあった。
 K氏の案内で店に入り込み、いつものようにレモンサワーのレモンを絞る。
 はじめに頼んだのは北海もんじゃ。海の幸とコーンという「北海道なんです」っていうことを主張する構成ではあったが、普通のもんじゃである。
 もんじゃ焼きはあまり食わない私とK氏は、最初、丸い銀色のボールに山になっている北海道を前にどうすべきかを思案せざるを得なかった。見るに見かねたといった感じの店員が「やりましょうか?」と言って来るので任せする。
 まず鉄板に油をひく。へらで薄く延ばした上で、ボールの中にある具を鉄板の上に落とす。具をへらで細かく砕きながら焼く。細かく砕き終わったらそれをまとめ、中央に穴をうがち、ドーナッツ状に整形。中央部に具に隠されていた水分(おそらく小麦粉を水で溶いたもの)に醤油で味付けした後、流し込んでいく。
 水分の投入量に比例して輪を広げて行き、決壊をしないですむようにする。具材に含まれた若干の水分が熱で固まり、または投入した水分が徐々に固まり、簡単に決壊することはないのだが……。

 北海道を平らげた後、第二ラウンドは店員の手を借りずに行う。先に書いた店員の行ったように納豆もんじゃを作成。決壊!! だが、それくらいでめげてはいけません。決壊しても意外に美味しいのです!

 と、次にメニューを見て気になった……あんもんじゃ……。
 あんもんじゃ?
 あんもんじゃってあんこのもんじゃでしょうか?
 きわめて訴求力の強い具材であります。

 しかも、あんもんじゃの横には黄色い噴出しに赤字で「おすすめ!」と記載。若干の不安とこの店の感性を若干疑問視しながらも、「お勧めされてしまっては仕方がありません!」とりあえず、注文。注文時に「あんもんじゃって結構出るんですか?」とゲテモノ市場の調査を敢行。

「ええ、人気ですよ」

 と、靴下が異常にかわいらしい女性店員(推定20台前半)が即答。
 恐るべし、埼玉県民!!

 で、やって来たのは……水溶液のみしか見えないボール……。
 あ……やっちまった?
 と、一瞬の躊躇。
 しかしながら、付属のスプーン(パフェで利用されるタイプの柄の長いもの)を混ぜてみる。
 中にあんこが!! やっぱり、あんこが底に!!
 ※ 残念ながらこちらに画像はない。別視点のブログで確認して欲しい。
 あんこが別皿でやってくるというパターンではなかったようである。

 とりあえず、あんこを引っ張り出して鉄板に投下、土手を作成。
 っていうか土手など作れない。
 もはや岩の塊を寄せ集めて荒川を治水するような感じである。水分を流し込むとそのまま鉄板表面外部へ流水が開始される。もはや先に教わったもんじゃ作成手順の遵守は不可能な事態である。流失をへらで受け止め、何とかそれらしくなったのが下の画像だ。
P1000003.JPG もんじゃとしての形骸は何とか保っているものの、グロテスクである。
 写真で見るともはや食べ物ではない。 
 しかし、これは「おすすめ!」なのであるエクスクラメーションマーク添付のお勧めもんじゃなのである。埼玉県民の底力なのである。
 恐る恐る子へら(ちいさいヘラを便宜上そう呼ぶ)で切り取る。

 食す。

 ……あっ。
 ……うまい。

 そこでK氏が意外な発見をすることになる。
「これ、醤油をつけるとお正月ですよ。ちょびっとだけつけるんです」
 と、いうことなので、やってみた。
「確かに!!」
 それはなんとも懐かしい正月であった。
 はっぴぃえんどのお正月である。
 お正月といえば……そんな味であった。

 めでたく、そちらは完食。

 次は、あんもんじゃの下に位置している。奇跡の単語を口にしてみた。

 「フルーツもんじゃ」

 と。

 その驚愕の登場写真はこちら。
P1000002.JPG
 これ、もんじゃですよね?

 なんか、バニラアイスが乗っています。

 その下にはコーンフレークが入ってます。

 フルーツはどこ?
 と、思ったらうえにいくつかブルーベリーが乗っていました。

 あ……今度こそやっちゃった。

 すでにもんじゃとして成り立っていないこの登場シーン。
 パフェですよね? いや、むしろパフェが間違って登場しちゃったんですよね!?

 と、思いつつも鉄板に投下……。
 当然、土手とか存在しません。っていうか、普通のもんじゃと比較して、どこがどこの部分を代替しているのかさえ分りません。
 フルーツという名称でありながら、フルーツの比率がかなり低いのも若干気になりますし、すでに存在自体が謎です。
 埼玉マジックでしょうか? それともこのお店のマジック?

 で、作成。
 その過程をK氏が動画をとりましたが、その姿は異常でした。

 しかしながら、意外に美味い……。

 最後に〆でお好み焼きを注文。

P1000001.JPG 普通のお好み焼き。

 美味しくできました。









 帰ろうかと思うと、なぜか電話で連絡をしていた知人、変人がほぼ同時に登場。
「あれ?」
 ということで、再び鉄板焼きが稼動開始。

 当然終電には間に合わず、間に合う気もなく、タクシーで帰りました。

 今回の第一回もんじゃサミットはそんな感じでめでたく閉幕しました。
 かつて四時間三十分ももんじゃを焼き続けた男たちが居たでしょうか?

 このサミットは伝説として後世まで語り継がれることでしょう……たぶん、ね。
April / 16 Wed 22:44 ×
 最近、『エクストラテリトリアル』(西成彦 作品社 2008 3200)を読んでいる。なかなか読むのが大変で、まったく読書は進んでいない。分からないところを調べようにもネットで調べても何もでない。ポーランド版のグーグルで検索すると出てくるのだが、ポーランド語など読めないのでまったく意味がない。しかも、適当な参考文献さえ紹介している場所が見当たらなかった。
 インターネットは万能ではないのね(特に語学に弱い人にとっては……)。
 仕方がないので、図書館へ行って参りました。
 すると、『ポーランド文学史』(チェスワフ・ミウォシュ 関口時正・西成彦・沼野充義・長谷見一雄・森安達也訳 未来社 2006 10000)という本があった。ぱらぱらと読んでみると面白い。各章のはじめに時代背景が書かれており、その後に代表的人物の解説、作品の抜粋がある。しかも988頁もあるボリューム。これは読みごたえがあります。
 私が知りたかった1930年代の詩人に関しても解説があった。
 そう、また第一章の第一節たる『一九三〇年代ポーランド文学論 「春」と「黒人」の問題圏』をまだ読んでいないのである。正確には読んだのだけれども、理解していないものを読んだとはいえないので読んでないといっておいたほうが良い。
 まず、1930年代のポーランドって言うのが分からない。知っていることを少し書けば、両大戦期のポーランドは帝国主義から開放され、ヴェルサイユ条約によって成立した。その後、チェンバレンの宥和政策の犠牲となり、ドイツ・ソヴィエトによる分割によって消滅というのは知っているのだが、詳しい状況はまったく分からない。
 ウィキペディアにポーランドの歴史についての概略があるが、1930年代の状況を理解するにはまったく足りないのは仕方がないことだろう。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
 両大戦間期は、ポーランド独立に尽力したユゼフ・ピウスツキ(元社会運動の活動家でシベリア流刑の経験あり。リトアニアに住むポーランド貴族の出。ポーランド軍を創立した。日本にも来たよhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%84%E3%82%AD)による開放の自由時代から始まる。一旦、国家元首になったけど大体の対外的な争いごとが片付くとすぐに勇退する(かっこいい! ポーランドのゲバラか? ゲバラなのか?)。でも、戦後復興やインフレなんかが起こってかなり大変。どうにもこうにもならないと見て取ったビウスツキはクーデターをおこして独裁(混迷する政治状況をかんがみて仕方がなく独裁するといった形だったようだね。気に食わない人は牢獄へ、気に入った人は重職へということをやっていたが、メディア弾圧はあまりやらなかったようだ。でも、ゲバラはそんなことしなかったYO!)する。でも、死んでしまう。その後、軍部による支配(大佐グループの支配とかっていうらしい。これはユゼフ・ビウスツキよりも怖かったらしい。ファシズムの方へ向かっていくような感じだけどポーランドなくなっちゃったからから……)があった。
 そんな時代が1930年代のポーランド。国内の雰囲気としては、開放されてポーランドサイコー! っていう感じはだんだんなくなってきちゃって、社会不安の中、隣国ドイツの影響でユダヤ人をちょっと迫害し始めちゃおうかな? っていう感じのようだけど、ジャーナリズムはまだ良識を保っている。
 そこに、『一九三〇年代ポーランド文学論 「春」と「黒人」の問題圏』で登場する、ユリアン・トゥヴィム(Julian Tuwim 1894-1953)が出てくる。トゥヴィムはユダヤ系だったわけだね。で、「春」という不謹慎な(といえる)詩を書いてしまう。(「ポーランドのために餓鬼をせっせとつくれ」とか「性病をうつしてまわれ」とかやっぱりまじめな人に読ませるにはちょっとまずい感じなのです)抜粋しか載っていないのでなんともいえないのだけど、当時のポーランド社会・政治を自嘲まじりに嘲りとばしているように思える。これが政治問題、人種差別へ向かう思惑があったのではないかっていうのが、この「春」の問題らしい。
 ポーランドは当時ユダヤ人がいっぱい住んでいたのだ。それはウィキペディアによると、14世紀のドイツでペストをはやらせたのはユダヤ人だと言われて迫害されたのをポーランド王国が受け入れたかららしい。ポーランドって色々な民族を受け入れる素養があったようですねー。チュートン騎士団、ドイツの移民、色んな人々を内包しながら一時は中央ヨーロッパの大国として、一時は地図から消滅した。
 今や、墓碑銘のように響くアウシュヴィッツのイメージが強すぎてそれ以外の印象が薄いのだけれども、ポーランドって実は奥深いところで色々あるんじゃない?

 つらつらとここに書いたのは、参考文献あったよ! っていうことを知らせるためです。インターネットで何も分からないって言うのは悲しいものね~。

 ってことで、もう少し読んでみます。
April / 14 Mon 00:31 ×

 日本の日曜日といえば競馬である。もう、全国津々浦々まで競馬である。疑問の余地もなく競馬なのである。
 しかしながら、なぜか最近お金のない私はそんな全国的な行事である競馬に最近あまり行けなかった。
 今日は桜花賞。これは行かざるを得ないのではないかと考えながら、TVで国民的テレビ番組であるところの競馬中継を見ていた。桜花賞の参考レースやら調教の様子を見ながら分析していたところ、フィリーズレビューの三着馬の直線での躍動的な腿の動きに魅了された。一瞬ではあったが、その加速のすばらしさは目を見張るものがあった。
 その馬こそレジネッタであった。桜花賞のオッズを確認すると単勝33倍(昼時点)という状況。これはねらい目である。馬体重もマイナス4。さらに締まった感がある。これは行ける、と思い、取り急ぎ本を鞄に突っ込んで場外馬券売り場へ向かった。レースまで三十分。ぎりぎりの時間である。
 電車の中で一昨日購入した東欧文学に関する論文集を読みながら、時間を気にする。混雑していたら買えないかもしれない。最近の桜花賞は堅くおさまっていた。新聞にも人気馬有利の記事が踊る。今回も堅くおさまるだろうというのがジャーナリズムの言。しかし、このレースは荒れる。自信はある。伏兵による最後の追い込み。阪神の長い直線、あの脚力があれば順当に残るはずの人気馬をかわすことができるだろう。
 財布から札を三枚取り出し、ワイシャツのポケットに突っ込む。この三枚くらいしか自由にできる金はない。
 オッズから配当金を概算する。新宿は200円以上の購入しかできないから、200~500円での馬連6頭流しになるだろう。200円で買うとすると1番人気との馬連で50倍くらい。単勝30倍台で馬連ならば6番人気ならば200~300倍はつくだろう。小さく見積もって1万円。大きく見積もって4万円の配当。足りない。
 三連複で一番人気との二頭軸で買えば配当はもう少しあがる。一番人気はこのところ3着までには来るから信頼度も高い。考えた末、馬連、三連複に分けて購入することに決めた。
 皇国の興亡、この一戦にあり! ニイタカヤマノボレ
 ウィンズの階段を昇る。
 時間を確認する。あと10分。いつもぎりぎりだ。何かやらなければいけないことがあるときはいつだってぎりぎりなものだ。
 3階は混み合っている。人を押しのけて最新オッズの確認。単勝の倍率は40倍。ひとり下卑た笑いを浮かべる。同時に、不安になる。
 日本の競馬ではよく買われる馬券ほどオッズが下がる。あまりにも多く買われたものは1倍になってしまうことだってある。当たっても買った金額が戻ってくるだけということだ。逆にほとんど買われていない場合は100円で買ったものが1千万円になることだってある。
 多く買われた馬券を買うのは気が楽である。当たっても外れても場外馬券売り場の空気と連動した結果がめぐってくる。みんなと一緒の行為の結果はみんなと一緒のものになる。私はめったにそんな買い方はしない。勝ちにこだわって買っても面白くない。ちょっとした引っ掛かりを見つけ、自ら構築した理論によって証左された結果としての馬券でなければ面白くない。けれど、こういう買い方は常に、支持されていない馬を買うことの不安がつきまとう。
 やはり人気馬が来ることのほうが多いのだし、ひねくれた買い方をしてしこたま負けた夕方は電柱だって蹴り飛ばす。だが、やめられないね。
 5分前に馬券を買う。一旦場外の外に出て煙草を呑みながら、湿気を感じ空を仰ぎ見る。直前に雨が降らなければいいが……。差し馬はすべる馬場になったら不利なのだ。
 中に戻り、液晶テレビを見守る。馬場入場が行われている。雁首並べてテレビに食い入るきれいとは言いがたい身なりの人々。その一人である自分自身に自嘲する。
 そして、春のレースが始まる。
 今読んでいる本の中にポーランドの詩人ユリアン・トゥヴァムの「春」が少しだけ載っている。『「今日は群集をたたえる日/くろやまの人だかりと/都市と」』という冒頭で始まる詩らしい。今日、この瞬間こそがそれではないか? すばらしい景色じゃないか!
 レースは順調に始まり、思い通りの展開。我がレジネッタは後方のまま最後の直線。ゆっくりと始動。躍動する筋肉がそこで動き出す。すっと持ち出した鞍上小牧太。中団にあがる。加速する。一気に他馬を追い抜き、ゴール前、抜け出した。一着。
 描いていたシナリオは正当にそこに描き出されたかに思えた。
 12番人気、馬印に何の印もないレジネッタは桜花賞を勝った。
 場内は静まり返る。大穴だった。隣の見ず知らずの人と話を始める。
「二着は? 二着は何だ?」
 1着は当てた。当てたのだが、2着がおかしい。2着にも穴馬が入っているように思えた。買っていない穴馬だ。
 隣の階段に一段上がってテレビの一部始終を見られただろう50代後半の町工場で働いていそうなおじさんに確認する。エフティマイアだ。
「新潟二歳ステークスのエフティマイア!?」
 買ってない。
「大荒れだよ、ほら、印なんぞついてねえ」
 ぶっきらぼうに言いながら、新聞に1~3着まで書き記すおじさん。
「レジネッタかよ」
「レジネッタなら買いましたよ」
「ほう」
「でも、下がまずいですね。エフティマイアか」
「レジネッタ買ったのか?」
「前走良かったんで。でも、結局はずれですよ」
 おじさんは苦笑して、私は軽く手を振って外へ向かった。

April / 12 Sat 00:19 ×
 本日はわけあって蔵本自慢じみたことをして見ます。
 戦後政治史上、最も在任期間の短い総理大臣として有名な東久邇宮稔彦の日記が出版されておりました。
『東久邇日記 日本激動期の秘録』 東久邇宮稔彦著 徳間書店 昭和43年3月10日発行(ISBNなんてものはない)
 で、あります。
 なぜか本屋さんでは売っておりません。
 古本屋さんにもなかなか売っておりません。
 帯付のものは他で目にしたことがありません。
 と、言う逸品であります。
 なぜこんな本を持っているかというと、入手経路は覚えておりません。いつの間にか持ってました。
 とある新古書店チェーンの均一本コーナーで入手したのではないでしょうか?

RIMG0014.JPG 昭和16年1月1日から昭和20年10月9日、内閣総理大臣を辞職するまでの断続的な日記である。途中、石原莞爾の『戦争史大観』『国防政治論』が東条英機によって発禁にされたり、英米戦が始まってしまったり、石原莞爾中将が予備役になってしまったり、「私は総理大臣になることには、真っ平ご免です」と言ったなんてことが書いてあったりして、皇族だけど流石は東久邇宮稔彦は面白い! と、思ってしまうわけです。石原莞爾がいっぱい出てくるしね。
 っていう面白い本なのです。

 面白い本なのですが、お金がないのでもしかしたら、最悪この本をヤフオクとかに出してしまうかもしれません。そのために撮った写真なのです。シクシク。
 みんな貧乏が悪いんだー。

RIMG0017.JPG
←なんか怖そうなお顔です。






RIMG0015.JPG←首相を辞めたので、別荘に帰って寝られる。って、いう感じで日記は終わる。
 ちょーかっこいい!







 んー、でも、かび臭いですね。

 敬称略。でも、心の中では様づけ。
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