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萬書付帖 since 12.09.2007
February / 23 Sun 13:56 ×
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April / 16 Wed 22:44 ×
 最近、『エクストラテリトリアル』(西成彦 作品社 2008 3200)を読んでいる。なかなか読むのが大変で、まったく読書は進んでいない。分からないところを調べようにもネットで調べても何もでない。ポーランド版のグーグルで検索すると出てくるのだが、ポーランド語など読めないのでまったく意味がない。しかも、適当な参考文献さえ紹介している場所が見当たらなかった。
 インターネットは万能ではないのね(特に語学に弱い人にとっては……)。
 仕方がないので、図書館へ行って参りました。
 すると、『ポーランド文学史』(チェスワフ・ミウォシュ 関口時正・西成彦・沼野充義・長谷見一雄・森安達也訳 未来社 2006 10000)という本があった。ぱらぱらと読んでみると面白い。各章のはじめに時代背景が書かれており、その後に代表的人物の解説、作品の抜粋がある。しかも988頁もあるボリューム。これは読みごたえがあります。
 私が知りたかった1930年代の詩人に関しても解説があった。
 そう、また第一章の第一節たる『一九三〇年代ポーランド文学論 「春」と「黒人」の問題圏』をまだ読んでいないのである。正確には読んだのだけれども、理解していないものを読んだとはいえないので読んでないといっておいたほうが良い。
 まず、1930年代のポーランドって言うのが分からない。知っていることを少し書けば、両大戦期のポーランドは帝国主義から開放され、ヴェルサイユ条約によって成立した。その後、チェンバレンの宥和政策の犠牲となり、ドイツ・ソヴィエトによる分割によって消滅というのは知っているのだが、詳しい状況はまったく分からない。
 ウィキペディアにポーランドの歴史についての概略があるが、1930年代の状況を理解するにはまったく足りないのは仕方がないことだろう。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
 両大戦間期は、ポーランド独立に尽力したユゼフ・ピウスツキ(元社会運動の活動家でシベリア流刑の経験あり。リトアニアに住むポーランド貴族の出。ポーランド軍を創立した。日本にも来たよhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%84%E3%82%AD)による開放の自由時代から始まる。一旦、国家元首になったけど大体の対外的な争いごとが片付くとすぐに勇退する(かっこいい! ポーランドのゲバラか? ゲバラなのか?)。でも、戦後復興やインフレなんかが起こってかなり大変。どうにもこうにもならないと見て取ったビウスツキはクーデターをおこして独裁(混迷する政治状況をかんがみて仕方がなく独裁するといった形だったようだね。気に食わない人は牢獄へ、気に入った人は重職へということをやっていたが、メディア弾圧はあまりやらなかったようだ。でも、ゲバラはそんなことしなかったYO!)する。でも、死んでしまう。その後、軍部による支配(大佐グループの支配とかっていうらしい。これはユゼフ・ビウスツキよりも怖かったらしい。ファシズムの方へ向かっていくような感じだけどポーランドなくなっちゃったからから……)があった。
 そんな時代が1930年代のポーランド。国内の雰囲気としては、開放されてポーランドサイコー! っていう感じはだんだんなくなってきちゃって、社会不安の中、隣国ドイツの影響でユダヤ人をちょっと迫害し始めちゃおうかな? っていう感じのようだけど、ジャーナリズムはまだ良識を保っている。
 そこに、『一九三〇年代ポーランド文学論 「春」と「黒人」の問題圏』で登場する、ユリアン・トゥヴィム(Julian Tuwim 1894-1953)が出てくる。トゥヴィムはユダヤ系だったわけだね。で、「春」という不謹慎な(といえる)詩を書いてしまう。(「ポーランドのために餓鬼をせっせとつくれ」とか「性病をうつしてまわれ」とかやっぱりまじめな人に読ませるにはちょっとまずい感じなのです)抜粋しか載っていないのでなんともいえないのだけど、当時のポーランド社会・政治を自嘲まじりに嘲りとばしているように思える。これが政治問題、人種差別へ向かう思惑があったのではないかっていうのが、この「春」の問題らしい。
 ポーランドは当時ユダヤ人がいっぱい住んでいたのだ。それはウィキペディアによると、14世紀のドイツでペストをはやらせたのはユダヤ人だと言われて迫害されたのをポーランド王国が受け入れたかららしい。ポーランドって色々な民族を受け入れる素養があったようですねー。チュートン騎士団、ドイツの移民、色んな人々を内包しながら一時は中央ヨーロッパの大国として、一時は地図から消滅した。
 今や、墓碑銘のように響くアウシュヴィッツのイメージが強すぎてそれ以外の印象が薄いのだけれども、ポーランドって実は奥深いところで色々あるんじゃない?

 つらつらとここに書いたのは、参考文献あったよ! っていうことを知らせるためです。インターネットで何も分からないって言うのは悲しいものね~。

 ってことで、もう少し読んでみます。
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