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萬書付帖 since 12.09.2007
February / 23 Sun 19:07 ×
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March / 24 Mon 03:31 ×
 虚しさに夜をさすらえば肺気管の悲鳴を感じて立ち止まる。街道沿いの階段に座り込み、手のうちにある半ば空きかけのコーヒーは早々と冷め始めている。寒い。
 眠ろうと上掛け布団の重みに耐えて三時間を費やして後、屋外へ出る。あまりものを食べていないせいか空腹を感じていた。なぜか流れる涙を感じるのは空腹のせいではない。
 虚しい。
 それは孤独からくるものなのかもしれない。ただ誰かと必要以上に馴れ合うのは気持ちが悪いことでしかない。それは多くの選択肢の中から選び得たものだし、いまさら引き返して選びなおすことも不可能だろう。
 石川啄木の歌集が見つからない自分の書架に絶望する。せめて斉藤茂吉があればよいのに。
 半ば夢をあきらめていつの間にか現実世界に馴染もうとしている指向性への客観がこの不眠の理由なのかもしれぬ。この虚しさはなにか? その理由は決して分からないだろう。決して分からぬことだから考えるのであって、容易に答えの出る問題ほど退屈なことはない。
 あらゆるものがもっと複雑で難解で答えのないものでありますように、と、数学の時間に良く思っていた。答えはひとつではない。その十進法を前提とした数式にNOを突きつけよう。1+1=2ではない。抵抗は心の中で静かに行うべきだ。蒙昧なる愚民の一員はそうしなくてはならない。
 一方で、単純さを尊べ、とも言える。単純なものこそが美しいのだから。でも、美しいものが美しいのかといえばそれも違うと思う。薄汚いものがとてつもなく美しいものであると思える瞬間は多い。街角に立つ浮浪者の帽子に感動を! 夢に輝く瞳に絶望を感じることも多い。観測者としての主体の心情の変化? くだらない。
 ある日、僕は宇宙には果てがないことを確信した。小学生のころだったね。神棚の暗がりを見つめながら永遠と眠れない時間をすごした結果、宇宙には果てがないと分かったのだ。でも別の日にはやはり宇宙には果てがあるのだと確信するのだ。わけが分からない。
 ファウスト博士のように誘われたら僕は確実に契約をする。たかが命を担保にすべてを知ることができるのならばそれはそれでよい。命と知、その天秤がほしい。
 詩はいい。残酷に削られた言葉のきりっとした並びは美しい屍。生命を吹き込む視覚神経と大脳皮質。死と再生が露骨で美しい。それは寂しく憂鬱だ。一日の初めに詩を読むことは癖になる。そして絶望的になる。そこには労働の否定がある。世界を形作る二つの要素、芸術と経済、この相反するものの間にあるのはやはり満員電車であり、その象徴としての朝がある。朝が来なければ良い。
 夜、街を歩くことの幸福は経済の象徴である町並みが見えにくくなることにある。なるべくうつむいて、もしくは上を向いて歩こう。涙がこぼれないようにね。
 一応の社会的な位置を得、焦燥感が消えた。虚しさだけが今ここにある。堕落を感じる、絶望。憂鬱な朝焼けに覆われるまで、せめて静かな闇に足音を鳴らせ。
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